テニミュと身体性
3rd四天を見て思ったことを書きますね。
人それぞれあの公演には思うこと色々あるかもしれないけど、私はあの一球勝負に物申したい。
なんっっっっっだあのクソ演出は!!!!!!
ふざけてんのかド改悪しやがって!!!!!
確かにね、3rdでは新しい風を吹かそうって意気込みは感じてるよ。何か新しい試みをって気持ちは感じてるよ。こちとら。不動峰の時からずっと。
でもさ、でもさ、
あのタイミングでよくわからんプロジェクションマッピングする必要はあったか????
一緒に観劇に行った友人は
「テニプリのよくわからん世界観を再現するという点においては良かったかもしれない」
そう言ってたけど。
それを差し置いても。
超ウルトラグレートデリシャス大車輪山嵐を映像にする必要ありましたかーーーー??!!?!
何でこんなに不満なのか考えたんだ。
なぜこの演出が嫌なのか。
どうして映像では良くなかったのか。
結論。
テニミュを構成するものとして役者の躍動・身体性が大部分を占めているから。
これです。
賛同してくださる方は少なくないと信じてます。
特に天衣無縫の萌芽として描写される越前リョーマVS遠山金太郎の試合、これこそ役者の身体で表現すべきものではないのでしょうか。
「テニスって楽しい」というテニプリにおける命題とでも言える感情を役者自身の表現で見せつけられたかった。
それを謎マントル掘らせて、あまつさえ吊って上下にしか動けないよう拘束して。
超ウルトラ(略)山嵐前に2人ともヒューーー……って引っ込んでぎょっとしました。そしたらこれですよ。このザマ。
今アンケートでどうこう言っても円盤にはプロジェクション大車輪山嵐が収録されるのはほぼ間違いないでしょう。一応毎公演書いてはいますけど……。
せめて全国立海ではこのようなことがありませんように。